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東洋医学を学ぶ!鍼灸師の独り言

 鍼灸のすばらしさをすべての人へ! 
 
 そんな想いを一人でも多くの人に届ける為、そして自分自身がもっと鍼灸の良さを理解する為にこのブログを立ち上げました。
 鍼灸は全ての人が受ける価値のある医療だと思います。
 何故なら、病の人、不健康な人、そして健康な人も、すべての人に効果がある医療だからです。
 
 鍼灸は、医療を超えた医療なのです!!
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歴史に残る鍼灸師 23.平川 荘作
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          鍼灸界には鍼灸治療を支え守ってきた数多くの歴史に残る先生方がいます。

      第23回は 平川 荘作 先生です。
     
      ☆ 伝統手技術の最後の砦になろうとした静かな指導者。

      ☆ 「吉田流の技術上継承者」と称されるほどの腕を持ち、養成所を設立して後進を育てた。


       星  平川 荘作 (ひらかわ そうさく)  星


      1891年  埼玉県南埼玉郡に生まれる

      1913年  吉田久庵直弟子の叔父、平川林蔵の徒弟となる

      1916年  吉田流鍼灸医学校設立。中心講師として活躍

      1917年  警視庁施行鍼灸按摩術試験に合格

      1940年  東京府鍼灸按マッサージ師連合会理事

      1944年  東京都鍼灸按マッサージ師連合会理事長

      1945年  同連合会会長に就任

      1947年  日本鍼灸医学会会長に就任

      1950年  京橋区八丁堀に東京マッサージ師養成所を開設、所長となる
             東京都鍼灸師会会長
             日本鍼灸師会副会長就任

      1961年  社団法人東京都鍼灸按マッサージ師会相談役

      1968年  勲5等瑞宝章授与

      1974年  心不全により死去



     伝統手技術の最後の砦になろうとした静かな指導者

     江戸時代のあん摩術の2大流派杉山流と吉田流

     杉山流は鍼術にその名を残し、江戸時代末期に吉田久庵が創始した吉田流は、平川荘作によって継承され、今に伝えられている。

     1913年、三代目吉田久庵直弟子であった叔父に弟子入りした後、鍼灸よりも按摩術に魅了され、吉田流按摩術の塾に通い始め門下生となる。

     「私は按摩術こそ人生天性の治療術のような気がする。一生をかけてその奥を極めてみたい」

     当時の友人にそう語った後、「吉田流の技術上継承者」と称されるほどに術の腕を上げていく・・・。やがて、八丁堀に自宅兼治療所を構え、終生、そこを活動の拠点とするのである。
     
     術者として名高かったばかりでなく、業界の指導者としても足跡を残す。特に50代は戦中・戦後の混乱期に重なり、GHQ旋風身分法の確立などで業者の団結が急がれる時期であった。

     戦後の焼け野原の中を、一人一人訪ね歩いていき、連絡網を作っていきました。自宅に皆が集まって情報交換や業界の将来について遅くまで議論しあったそうです。

     自分の意見を押しつけて先頭に立って引っ張っていくタイプではなく、業界の復興再編、鍼灸師の将来について自分の思いを語り、同時に様々な人の意見に耳を傾けながら団結させていく手腕を持っていました。地味だけど行動力がありました。」

     こうした努力の末、東京都鍼灸師会は設立され、初代会長就任は各支部の結束を急ぎ、団結を促していく・・・。楽しい


     一方術者としても活動は・・・。

     48年年頭から施行された法律第217号により、従来の徒弟制度では免許を取得できなくなった。そこで、吉田流の術者を養成するために、50年に自宅に東京マッサージ師養成所を設立。

     学校ではなく、養成所と名付けたのはこだわりだった。解剖や法規などの学科も手探りで教えていた。

     母指揉捻は、お餅をこねるようで、フワーッとしているのだけれど、よく効きました。「心でやるのだ」が口癖で、疲れて手を抜いたり、練習をしないでいると、「おまえはもう一人前の技術者と思っているのか」と叱ったそうです。

     戦後すぐだったので、皆生活に困っているのだから、月謝を催促してはいけないと言われ、地方に試験を受けに行く学生が「お金がない」と言えば、お金を出してあげていたというエピソードも残っています。ラッキー

     術者としての厳しさと指導者としての面倒見の良さ、そして、継承者としての信念。

     日本人には奈良時代から伝えられた伝統あるあん摩術が最も適しています。名称だけではなく、術の実態さえも消えようとしています・・・撃沈

     そんな危機感から生前、鍼灸隆盛の機運の中にあっても、頑として自分の学校に鍼灸課程を入れることに同意しなかったといいます・・・。パクッ


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      引用文献  医道の日本 2004.11 P8.9



         
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