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東洋医学を学ぶ!鍼灸師の独り言

 鍼灸のすばらしさをすべての人へ! 
 
 そんな想いを一人でも多くの人に届ける為、そして自分自身がもっと鍼灸の良さを理解する為にこのブログを立ち上げました。
 鍼灸は全ての人が受ける価値のある医療だと思います。
 何故なら、病の人、不健康な人、そして健康な人も、すべての人に効果がある医療だからです。
 
 鍼灸は、医療を超えた医療なのです!!
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歴史に残る鍼灸師 22.小林 勝馬
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          鍼灸界には鍼灸治療を支え守ってきた数多くの歴史に残る先生方がいます。

      第22回は 小林 勝馬 先生です。
     
      ☆ 戦後初の第1回参議院選挙に業界代表として出馬した。

      ☆ 鍼灸医法制度に向け、精力的に厚生省と交渉を続けていた。


      ☆  小林 勝馬 (こばやし かつま)  ☆


      1906年  佐賀県に生まれる

      1927年  鍼灸術営業免許所得

      1928年  無線通信講習所高等科(現電気通信大学)卒

      1946年  東京都鍼灸按マッサージ師会理事長及び日本鍼灸按マッサージ師会副会長、全国鍼灸按マッサージ医法制定実行委員会書記長

      1947年  全国区から参議院議員に出馬、当選

      1950年  任期終了

      1987年  食道静脈瘤破裂により死去


     

      ☆ 鍼灸苦難のさなか、業界の代表として矢面で戦った戦士

      戦後間もない混乱の中、花田傳岡部素道、小守良勝をはじめとする有志らは、この時代の大きな転機に、それまでの警視庁管轄の営業鑑札という単なる許認可制度か脱却し、身分法である鍼灸マッサージ医法制定実現に向け、強く団結、活動を起こした。 拍手

    その鍼灸マッサージ医法制定の足がかりとして、戦後初の第1回参議院選挙に業界代表として出馬したのである。この時41歳びっくり

     東京都鍼灸按マッサージ師会理事長及び日本鍼灸按マッサージ師会副会長でもあった。

     ほかにも母校の無線通信講習所高等科(現電気通信大学)の逓信省から文部省への管轄問題でも手腕を発揮しており、そういった人脈の広さも出馬のきっかけになった。


     日本鍼灸按マッサージ師会連盟会長の今関秀雄、東京都鍼灸按摩師会会長の平川荘作、実行事務局委員長の小守良勝の各氏は全国に呼びかけ、1947年4月20日、業界推薦の10万票を獲得して、みごと当選。
     みんなの期待を一身に受け、業界初の議員となった。拍手拍手拍手

     先生は眼目だった鍼灸医法制度に向け、精力的に活動。厚生省と交渉を続けていた。しかし、厚生相と接しているうちに、マッカーサー司令部から鍼灸禁止要望が出ることを知るびっくり

     同じ頃花田も地元宮崎県庁の衛生部長から「GHQによって鍼灸治療が禁止されるらしい」との話を聞く。まさにマッカーサー旋風の前触れであった。

     小林、花田、岡部らは不安を抱えたまま9月23日の「禁止要望」のその日を迎える。

     身分法の制定まで後一息というところから一転、業界全てがなくなってしまうかもしれないといった予想もしない事態に直面することになる。冷や汗

     民主党で厚生委員長の代理もやっていた小林は厚生省や国会議員との連絡調整をしながら、足しげくGHQに通い、鍼灸存続の必要性を訴え続けた。

     関東では板倉武博士、関西では石川日出鶴丸博士が鍼灸の学術面からの必要性をGHQに説明。

     禁止要望に対し、全国各地の多くの鍼灸師とその関係者が立ち上がった。

     この時のことを、「あのとき私はとにかく全国鍼灸師10万が立つか立たぬかの瀬戸際なのだから、たとえ議員は辞めてもいいから、何とか存続させるようにしてくれと必死で食い下がったものです」と語っている。

     そして、政局内部からの昼夜も惜しまぬ折衝と外からの晴、盲が一体となった全国各地での反対運動であった「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」(法令第217号)制定へと繋がっていったのである。たらーっ

     あん摩の代表と議会で呼ばれ、「鍼灸あんまのことなら万事吾輩が」というように自他ともに評されていた。議会でも若く、気取りのないところがとても人気があったという。

     身分法の制定後も全国の鍼灸あんま師が資格復活の試験が受けられるよう臨時試験(特例試験)を全国で行う案を成立させ、それによって救われた鍼灸あんま師は5万人いたといわれる。ラッキー

     また、GHQ旋風の反省から鍼灸師の教育・資質の向上、鍼灸の科学性を研究するための(財)東方治療研究所の設立にも力を尽くした。

     「小林先生は少し日焼けした程度の色黒で、口ひげ、黒縁めがねがトレードマークでした。物静かで人の話をじっくり聞き、質問にもよく考えてから答えるといったタイプ。だから若い連中の話もよく聞いてくれ、皆の兄貴といった感じだった。」

           鍼灸界の偉人伝  目次はこちら

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      引用文献  医道の日本 2004.10 P8.9


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