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東洋医学を学ぶ!鍼灸師の独り言

 鍼灸のすばらしさをすべての人へ! 
 
 そんな想いを一人でも多くの人に届ける為、そして自分自身がもっと鍼灸の良さを理解する為にこのブログを立ち上げました。
 鍼灸は全ての人が受ける価値のある医療だと思います。
 何故なら、病の人、不健康な人、そして健康な人も、すべての人に効果がある医療だからです。
 
 鍼灸は、医療を超えた医療なのです!!
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歴史に残る鍼灸師 20.後藤 真一
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         鍼灸界には鍼灸治療を支え守ってきた数多くの歴史に残る先生方がいます。

      第19回は 後藤 真一 先生です。
     
     ☆ 「あはき」の地位向上に尽くした第一人者。

     ☆ 鍼灸師やマッサージ師にはいずれ確かな教育が求められると見込んで多くの学校を創設した。

      ☆  後藤 真一 (ごとう しんいち)  ☆


      1913年  東京日本橋に生まれる

      1915年  大森へ一家で転居

      1931年  旧制国士舘中学卒業

      1932年  吉田鍼灸マッサージ養成所卒業
             鍼灸按マッサージの資格を所得

      1933年  東京慈恵会医科大学病院に勤務し、その後兵役を経て、東京牛込陸軍軍医学校附属診療所に勤務

      1939年  大森鍼灸按摩マッサージ師会会長に就任

      1943年  第二次世界大戦で再応召
             衛生伍曹長としてビルマ・インパール作戦に参加後、奇跡的に生還

      1948年  日本医療マッサージ師会会長(現社団法人全国病院理学療法協会)

      1953年  大森に東京衛生学園創設
      
      1956年  小田原衛生学園創設

      1972年  湯河原衛生学園創設

             この間、東京都鍼灸按摩マッサージ指圧地方審議会委員、同試験委員等を務める

      1977年  学校法人後藤学園、東京衛生学園専門学校認可
           
      1977年 11月 死去 享年64歳
            12月 藍綬褒章受章


     「あはき」の地位向上に尽くした第一人者

     鍼灸マッサージ師の長男として生まれた先生は、20歳にて鍼灸マッサージ師の免許を取ると、東京慈恵会医科大学尿院理学療法室を経て、第一陸軍病院で衛生兵として勤務。

     その後、陸軍軍医学校診療所に勤務した。無口だがいざというときには同僚かばい、勤務後に人知れず医療マッサージの勉強に励む努力家であった。

     父から後藤流鍼灸・手技を受け継ぎ、吉田久庵の按摩術柳谷素霊の鍼灸術、そして医療現場で評価されたホッファ方式というマッサージもマスターし、父から受け継いだ治療所を繁盛させる。

     後藤流マッサージは祖父・柳三郎が腹証からヒントを得てヨーロッパ流のマッサージを参考に考案したもので、「胃腸マッサージ」と呼ばれ、胃腸の不調に働きかけるものだった。

     その後、鍼灸・按摩・マッサージという三療の社会的地位がもっと向上しなければ・・・と、自分の成功のみでは満足せず、当時ほとんど活動していなかった「大森鍼灸按摩マッサージ師会」の会長となり、渉外面での手腕を発揮して「東京都鍼灸按摩マッサージ連合会」の常任理事兼普及部長に就任。

     これからだというときに、第二次世界大戦によって遠いビルマに送られ、史上「明らかに無謀」と言われたインパール作戦に参加。しかし、ささいな偶然の重なりに助けられ無事帰還したときには、妻子は空襲ですでになくなっていた。

     その悲しみを乗り越え、再び治療家として名を広めるようになり、戦前に父が治療していた旧家の方と出合う。

     仕事をかえりみないと感じたが、年に一度の恒例の家族旅行や、当時はまだ一般的ではなかったクリスマスを祝ったりして、家族を大事にした。

     周囲にすごく気遣いをする一方、驚くほど短期だった。でも人と接する事、人に何かしてあげることが大好きで、学会で講演を頼まれると、その学会の全体のお世話までしていた。拍手

     1974年、61歳の時に脳梗塞で倒れる。リハビリに励む気力に衰えはなかった。

     鍼灸師やマッサージ師にはいずれ確かな教育が求められると見込んで学校を建てた。

     先見性があり、仕事にはいつも男気があり、大事なことを任せられる多くの友人もいた。一人の男性として大きくてまぶしい存在だった。  

           鍼灸界の偉人伝  目次はこちら

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      引用文献  医道の日本 2004.8 P8.9





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