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東洋医学を学ぶ!鍼灸師の独り言

 鍼灸のすばらしさをすべての人へ! 
 
 そんな想いを一人でも多くの人に届ける為、そして自分自身がもっと鍼灸の良さを理解する為にこのブログを立ち上げました。
 鍼灸は全ての人が受ける価値のある医療だと思います。
 何故なら、病の人、不健康な人、そして健康な人も、すべての人に効果がある医療だからです。
 
 鍼灸は、医療を超えた医療なのです!!
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歴史に残る鍼灸師 16.間中 喜雄
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        鍼灸界には鍼灸治療を支え守ってきた数多くの歴史に残る先生方がいます。

      第16回は 間中 喜雄 先生です。
     
     ☆ 1969年、谷美智士医師らとともに日本初の鍼麻酔手術に成功。

     ☆ 鍼に魅せられ、医師の間では完全に変人扱いされても鍼の普及に尽力された。


     読書 著書作品

     ☆ 体の中の原始信号―中国医学とX‐信号系

     ☆ 針灸の理論と考え方
     
     ☆ 肩こりと腰痛
     
     ☆ カイロプラクテツク―脊椎手技療法
     
     ☆ 推拿療法―中国あん摩術 手技解説と病名別治療法
     
     ☆ 鍼灸臨床医典―初心者のための取穴法解説 

     ☆ 医家のための鍼術入門講座 改訂第2版 

     ☆ 平田式十二反応帯熱針刺激療法
     
     ☆ 奇穴図譜

     ☆ 気功学の未来へ―焦国瑞対談集
      間中 喜雄 (まなか・よしお)


     1911年  神奈川県小田原市に生まれる。

               京都帝国大学医学部卒業後

     1937年  父親の代から続く「間中外科医院」を継承

               第二次大戦に招集される

     1946年  「医療法人温和会間中病院」に改組

     1957年  京都大学医学部より学位を授与
               小田原医師会長に就任

     1960〜1970年 東洋鍼灸専門学校校長
               中国・欧州等世界各地で講演

     1969年  谷美智士医師らとともに日本初の鍼麻酔手術に成功

     1974年  北里研究所付属東洋医学総合研究員客員部長に就任

     1980年  東洋医学の発展に貢献した功績により「日本医師会最高優功賞」を受賞

     1989年  肝臓癌のため死去 享年78歳


      鍼を敬い慈しんだ、日本で最初の医師

     「多才な人」「気が多い人」と間中先生を知る人は口にし、誰もがその言葉に羨望の意を込める。
     自分の直感を信じて常に新しい治療法へ、さらに新しい世界へと飛び込んでいった先生でした。

     1911年、代々医者一家に生まれ育った母と医師である父の間に生まれ、幼少時から飛び級で中学に入学する天才肌だった。18歳になると、育った環境のせいか医師を目指し京都へ。
     1953年、京都帝国大学を卒業して医師になり、東京で2年の外科修行の後、父の跡を継ごうと小田原に戻る。
     第二次世界大戦のために招集され、一度帰国したが、再び招集され、約6年ほど軍隊で過ごす。
     戦友に鍼灸治療をしたら、変なことをするヤツだと、軍医ににらまれたこともある。 

     西洋医学を学びながら、除隊後も鍼治療にのめり込んだため、医師会に呼びつけられ「医師らしくない」と注意されたこともあった。怒りマーク

     1959年からすでに世界各国の鍼灸学会で講演をしていた。1955年頃からは鍼を学びに来日した外国人医師を自宅に滞在させたり、1965年頃からは鍼に関心を抱いて小田原へ次々やってきた若者たちに指導をし、鍼の啓蒙にあたっていた。

     鍼を操る先生は、患者の厚い信頼を勝ち取るが、医師の間では完全に変人扱いされた。当時、鍼灸に対する医学界の認識はそんなものだった。悲しい

     しかし、先生が日本初の鍼麻酔手術に成功した頃から、風向きが変わってくる。
     1972年、アメリカのニクソン大統領が訪中の際、中国の鍼麻酔が世界に紹介され、鍼麻酔に素直に感嘆した西洋医学者が増え始めたのだ。拍手

     しゃれたダブルスーツに身を包み、海外に出れば持ち前の語学力で生き生きと国際交流を楽しむ先生の姿は、男があこがれる男であった。

     忘れ去られた遺産になっていた鍼灸に再び光が当たった。当時医師でありながらあれほど鍼灸の力を世に知らせようとした人はいなかった。その行動力といくつになってもやんちゃなところが、同姓としても魅力的で「融通無碍」という言葉がよく当てはまる先生でした。

     先生の研究室には、

     「奇人・変人大いに歓迎。ただし一芸に秀でた者に限る」

     という張り紙があったそうです。

     鍼に魅せられた天才医師は、数多くの著書を残され、この世を去ってなお後進に鍼のすばらしさを訴え続けておられます。拍手


           鍼灸界の偉人伝  目次はこちら

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      引用文献  医道の日本 2004.4 P8.9
    | 鍼灸界の偉人伝 | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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