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東洋医学を学ぶ!鍼灸師の独り言

 鍼灸のすばらしさをすべての人へ! 
 
 そんな想いを一人でも多くの人に届ける為、そして自分自身がもっと鍼灸の良さを理解する為にこのブログを立ち上げました。
 鍼灸は全ての人が受ける価値のある医療だと思います。
 何故なら、病の人、不健康な人、そして健康な人も、すべての人に効果がある医療だからです。
 
 鍼灸は、医療を超えた医療なのです!!
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歴史に残る鍼灸師 11.花田 傳
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    鍼灸界には数多くの歴史に残る先生方がいます。

      第11回は 花田 傳 先生です。
     
     ☆ 東京渋谷にある花田学園の創始者であり、業界の地位向上、そして鍼灸・柔整教育と学校経営への情熱は、周囲を圧倒していた。

     ☆ 業界で初の藍綬褒賞受賞
    そのほか勲四等旭日小綬章・従五位に叙される。


      それでは、続きをどうぞ!見る

      花田 傳(はなだ つとう)

     1895年 福岡県遠賀郡岡垣町にうまれる。

     1932年 広島鍼灸学校を卒業

     1941年 柘植大学漢方学科を卒業し、宮崎県鍼灸師会長に就任

     1946年 九州連合鍼灸按師会会長に就任


     1947年 全日本鍼灸按マッサージ師会連盟理事に就任

     1951年 厚生省あん摩マッサージ、指圧、はり、きゅう、柔道整復中央審議会委員となる

     1955年 社団法人日本鍼灸師会会長に就任

     1956年 日本中央鍼灸専門学校・東京高等柔道整復学校が開校、初代校長となる
           全国あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師養成施設協会会長に就任

     1963年 学校法人花田学園認可にともない、

     1964年 「日本鍼灸理療学校」 「日本柔道整復学校」と改名
           この頃から晩年に至るまで、米・欧・アジア諸国へ視察旅行を続ける

     1967年 業界で初の藍綬褒賞受賞

     1971年 東京都あん摩、マッサージ、指圧、はり、きゅう、柔道整復等審議会委員となる

     1976年 勲四等旭日小綬章

     1982年 永眠、従五位に叙される。享年87歳



     生涯現役を貫いた「建学の父」

     「昭和生まれの九州育ち」のとおりの花田先生は、一度決めたらテコでも動かない激しい気性で知られる。それは同時に、自分の意志を貫くために誰よりも一途に生き、多面的な魅力をたたえた一人の男の姿でもある。好奇心旺盛で何にでも興味を抱き、晩年までみずみずしい感性を保ち続けた。

     「一流の人間になるには、一流のものを身に付ける努力が必要」と語っていたが、外見以上に中身を磨く努力を怠らなかった。

     第2次大戦後、GHQの支配下となった日本で鍼灸が存亡の危機に陥ったときも、マッカーサーの「鍼灸を禁ずる」という発言をめぐり、九州から単身上京し、有志と共に鍼灸存続運動のために手腕を発揮した。

     臨床家としての腕はもちろん評価されていたが、業界の地位向上、そして鍼灸・柔整教育と学校経営への情熱は、周囲を圧倒していた

     「教師として、生徒に何が語れるか、その語れるものを広げるために、世界を見る視点というものをもっていた。経営においてコスト意識は高かったが、自分の懐に溜め込むのではなく、見聞を広げ、教職員を磨くために、視察旅行などには積極的に投資していた。」

     大変な話好きでもあり、遊びも旺盛で、麻雀・野球・釣りが大好き

     年老いても希薄と自信に満ちていたが、87歳で突然 脳内出血で倒れる。

     激しい気性ゆえに誤解もされ、わが道を貫いたせいでワンマンとも言われた先生ですが、後に残された家族のような人たちにとっては偉大な「建学の父」であった。


               鍼灸界の偉人伝  目次はこちら

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    引用文献  医道の日本 2003.10 P8.9

    | 鍼灸界の偉人伝 | 23:33 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    私の恩師です。

    「東洋医学は四輪車(鍼・灸・あマ指・漢方薬)だから、一輪が欠けても走れない。」
    「日本初の東洋医学総合大学を創立しよう!」
    花田先生の顔声が蘇えって来ます。

    奥様にも、私たち夫婦揃って御世話に為りました。
    | kojiroh | 2006/11/24 7:36 AM |










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