RECOMMEND
患者からのこんな質問Q&A―患者を不安にさせないコツを教えます 鍼灸篇
患者からのこんな質問Q&A―患者を不安にさせないコツを教えます 鍼灸篇 (JUGEMレビュー »)
小川 卓良
治療をしていると患者様からのいろいろな質問が出ます。”簡単なことほど説明が難しい”とそして”小学生にも分かるように簡単に説明できて初めて理解できている”と高校の先生も言っておられました。こう聞かれたらこう答えるという事を勉強することも大切なことだと思います。
RECOMMEND
誰も教えてくれない「治療院」の始め方・儲け方
誰も教えてくれない「治療院」の始め方・儲け方 (JUGEMレビュー »)
荒田 顕司
 カイロの方の書かれた著書です。初めて経営に関する事を学びたい人には、分かりやすく簡単でよいと思います。
 これから鍼灸院を開業する方に向けてのアドバイス的な本になっています。
 鍼灸師の先生も経営をもっともっと学び、整体の方に負けないように頑張りましょう!
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

07
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

東洋医学を学ぶ!鍼灸師の独り言

 鍼灸のすばらしさをすべての人へ! 
 
 そんな想いを一人でも多くの人に届ける為、そして自分自身がもっと鍼灸の良さを理解する為にこのブログを立ち上げました。
 鍼灸は全ての人が受ける価値のある医療だと思います。
 何故なら、病の人、不健康な人、そして健康な人も、すべての人に効果がある医療だからです。
 
 鍼灸は、医療を超えた医療なのです!!
<< 灸の種類 | main | 日本の医学の歴史 13.医制と鍼灸 >>
歴史に残る鍼灸師 8.石川 日出鶴丸
0
        鍼灸界には数多くの歴史に残る先生方がいます。

      第8回は 石川 日出鶴丸 先生です。
     
     ☆ GHQに対して鍼灸の存続を訴えた。

     ☆ 生理衛生教科書は中等学校用教科書として戦前ベストセラーになった。

     科学的でないとの理由から、鍼灸を禁止しようとするGHQに対し、石川先生は鍼灸の科学性を証明するために奔走していただきました。
     今の日本に鍼灸が残ったのは、この先生のおかげです。拍手悲しい

     
     1878年10月5日  富山県射水郡小杉町に生まれる。

     1899年       金沢の第四高等学校卒業後、東京帝国大学に入学。卒業後は京都帝国大学に移った

     1908年       文部省留学生としてドイツを中心に約4年間留学。最後の一年は、ロシアの生理学者パブロフ教授など各国の研究者のもとを訪問した。

                 帰朝後は京都帝国大学生理学第二講座の教授として研究に傾注する一方で、生理衛生学の啓蒙に尽力。
                 著書「生理衛生教科書」は中等学校用教科書として戦前ベストセラーになった。 

     1938年       京都帝国大学を退官

     1944年       三重県立医学専門学校(現三重県大学医学部)校長に就任し、「大東亜鍼灸医学会」事務所や鍼灸療法科を開設
                 
     1947年       GHQに対して鍼灸の存続を訴えていた最中の11月7日に脳出血のため69歳で永眠。


     
      京都帝国大学の石川日出鶴丸名誉教授は幼少の頃から神童とうたわれ、東京帝国大学医学部を卒業。30代半ばという若さで京都帝国大学生理学第二講座の教授となり、日本に人工授精を導入した

     早朝から深夜まで、時には夜半の1時・2時までも門下の研究生の実験を指導し、論議を交わしてきた情熱家でした。

     石川先生は自らが主宰する鍼灸の研究会「龍胆会」の会員に早くから敗戦を予測し、終戦後に鍼灸の存続問題が起きることを示唆していた。
     
     科学的でないとの理由から、鍼灸を禁止しようとするGHQに対し、石川先生は鍼灸の科学性を証明するために奔走することになった。冷や汗

     「鍼灸師のため命を早めることがあっても悔いぬ」

     そう口にした先生は、事実終戦後の多事の合間をぬって、列車で仮眠を取りながら幾度も上京した。

     1947年7月7日 折衝の末直接GHQ三重軍政部のワイズマン軍医大尉に鍼灸の実技を見せた拍手
     
     石川に同行し、施術したのは「龍胆会」の樋口鉞之助。
     その当時のことを次のように記している。
     「私が参上したその夜、お部屋の一隅には蚊帳が吊ってあり、その中で石川先生と私の二人きりで、軍政部交渉の経過のご説明を具(つぶさ)さに繰り返しうかがった。ふと気を移すと、蚊帳が静かに揺れている。それはいつの間にか暗い蚊帳の外に着て座っておられた奥様の団扇(うちわ)が送る風であった。」
     
     石川先生の説明が終わったのは、明け方の4時過ぎ、樋口は早く休むようにいわれ眠りについたが、1時間ほどして目を覚ますと、蚊帳の中で読書をする石川先生と蚊帳の外で風を送り続ける婦人の姿があった。結局、石川先生は一睡もしなかったという。悲しい

     実技の結果は、樋口が涙を流したと回想するその帰り道に集約されている。

     「私たちは三重軍政部に示す鍼灸の実技を終え、軍政部より三重医専まで山麓の道を石川先生と共に徒歩で帰った。その途中、先生は私を振り返られ、そして私の手を硬く握られて、「ほんとうによかったね」と一言と言われた。」

     
     4ヵ月後、石川先生は脳出血で世を去った。

     「運は天と我とにあり至誠以て之を貫くべし」

     そう門下生に訓示を与えていました。


     鍼灸がいままで残ってきたのには、いろいろな歴史的背景があります。石川先生も人生をかけて守ってくださいました。

     今鍼灸に携わることに感謝し、鍼灸を守ってきた先生方の意志を汚すことなく日々精進していきたいと思いました。

                   鍼灸界の偉人伝  目次はこちら

            あなたのこの一票が励みになります。 ワンクリックをお願いいたします!

    引用文献  医道の日本 2003.2 P8.9


     
    | 鍼灸界の偉人伝 | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









    トラックバック機能は終了しました。